しのみやチキンの昔のはなし No5

 このコーナーは当店の誕生からこれまでの変遷を書き綴ったものです。興味と時間のある方は読んでみてください。


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5,鶏肉専門店から惣菜店へ
 間口2間、面積7坪の開業時の店舗は5年契約の短期借家営業であったために昭和49年には隣地に移転し22坪の大きな店舗で営業を継続することになりました。
移転した店舗は鶏肉店単独では大きすぎたので、鶏肉、やきとり、惣菜、餃子などでコーナー分けし、イトーハムの売り場をプラスした構成で5月にオープンしました。
当時としては業界でも類例が少ない斬新な店舗で開業時店舗と同様に多くのお客様方に支援された賑やかな店舗となりました。営業のスタイルもご利用客と共に暮らしを楽しみ豊かな食生活をめざす”おいしさを食卓に!”というセールスコピーに変更しました。
 店舗拡張で新たな売り場として設置したやきとり売り場と惣菜売り場は大きな好評を頂き、新しい味、手軽なおいしさをお手ごろ価格で提供する新しいしのみやチキンの人気商品にすることが出来ました。毎日の営業でご利用客の声を聞きながら安売りセールやお楽しみセールを積極的に開催しお客様との対話を重ねていき、取扱商品も天ぷらや麺のしまだや製品などを増やし次第に鶏肉店から惣菜の店という内容に変っていきました。
毎日のお客様を獲得するために催事セールを頻繁に開催しましたが、中でもご好評を頂いたのは店頭での簡単なお楽しみゲームとか、お買い上げ額の半額を返金する半額セールとか、宝舟一杯の硬貨をあてる総額当てクイズとか、サマー用品プレゼント抽選会などで、それらの企画をたびたび実施して毎日の食卓にチキンの食材なり惣菜なりをお求めいただくよう、買い物にお楽しみをプラスして提供して好評を博してきました。
しかし、昭和も50年代後半になって来ると田無駅前の賑わいに他地区からの出店が多くなりいろいろな業種分野で競争も一段と激しくなっていきます。その出店も北口駅前周辺に集中したために集客競争が激しくなり、毎日が本当に大変な競争の日々であったことが懐かしく思い出されます。そのあおりは市内の他地区の商業地に多大の影響を与えるとともに次第に市内の商業力の格差が進んだようでした。
買い物客でにぎわう北口通りでしたが昭和60年代になるとその増勢は止まり、駅前という好立地での自然発生商店街の繁栄は多くの問題点を解消できずに発展が留まり来街者の頭打ちになってきます。歩車共用の狭小の道路とか、下水の不備による臭気の発生とか、雨の日・風の日の来街者の難渋とか、店舗床の高騰による悪影響とか、いろいろな業種の店が揃いにくい街とか、多くの問題を抱えるようになっていきました。
そんな中で田無市による駅前再開発事業が本格的に進められ、しのみやチキンはさらなる成長を必要とされる時代になっていくわけです。
再開発地区の該当権利者は居住者、営業者、家主、地主併せて200軒近くの関係者がおりましたが田無市の努力と関係者の25年にも及ぶ息の長い協議によって正規の大事業が実現したのでした。