しのみやチキンの昔のはなし No4

 このコーナーは当店の誕生からこれまでの変遷を書き綴ったものです。興味と時間のある方は読んでみてください。


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4,むかしの鶏肉店
 ブロイラー養鶏が定着する以前の街の肉屋さんで売られているとり肉は卵を産み終わった廃鶏と呼ばれていた親鶏の肉でした。農家の庭先で仲買人が買い上げるのは卵を生めなくなっためん鶏で通称を”まる”といいます。雄ん鳥は”つめ”といい、肉も骨も固いの何の、まるで堅固でしかも雄くさくてほとんど利用されません。
鶏肉が販売されている店舗はそのほとんどが精肉店でしたが、中には鶏肉店としての専門店も少数ながら存在をしていました。かなりの大都会とか人口密度の高い商店街に少数在りましたが主たる需要が業務利用だったので周辺事情によっては経営が可能だったようで、この近辺では吉祥寺に老舗が今でもあります。
 昭和35,6年頃からブロイラーが街の店舗で小売りされるようになってきて肉屋さんが少しずつ変わっていきます。そして40年から50年頃にかけてが鶏肉店の数がピークだったようです。しのみやチキンがオープンしたのが昭和42年でしたが、田無にはすでに「鳥新」さんという鶏肉専門店がありました。肉屋さんもあちこちにありかなり先進的な街で競争も激しい土地柄でした。しのみやチキンは北口の駅前通りと富士見通りの交差点から駅よりに2軒目のところにありました。隣の角が「新井テーラー」で向かいが手打ちそばの「光盛庵」、駅に向かっては商店は途切れ、路地の向こうにお茶とたばこの「双葉園」がありその向かいが「指田医院」でした。富士見通りの交差点斜め向かいには「マーブル」という衣料雑貨のスーパーがありそのやや先には「イトーヨーカ堂」があり駅構内に「西友ストアー」があるというこの街の最繁華街の一画でした。
 店の大きさは間口2間奥行き3間の7坪で駅前通りに面して9尺の精肉冷ケースと3尺の保温ショーケース、その上にローストチキンを焼く専用のロースターがあるという、当時としてはありきたりの肉店のパターンでした。
それでも新規オープンの店舗で若者ばかりの従業員が店内の調理台の上に山となったブロイラーを解体しながら柔らかでおいしい鶏肉を売る店として評判になり、今まで近在に類似店が無いという物珍しさもあって「若どりの肉・ブロイラー専門店」として大勢のお客さんに支持され大忙しの日がつづいたことを覚えております。
特に丸焼きのローストチキンは安くておいしいと大好評で初めてのクリスマスには朝から晩まで焼き続けたことが今でも忘れられません。


(5,鶏肉専門店から惣菜店へ に続く)